面倒臭いことに意味がある
シンプリストを目指して生きている、と
自分では自覚しているんだけど…
合理的な生き方を選ぼうとして来たけれど…
時として反することに目が向く。
花を育てることも、その一つかな。
生活の中の彩りを求めるこの時期の中で、
切り花やプランターを始めた。
綺麗に咲く頃は良いのだけど、
美しい時は短く、季節も移り、
枯れて行くんだよね…どんなに手を尽くしても。
合理的に考えれば、もうお終いとして
新たな咲き誇る花を買えば良いんだけど、
そうしてこれまで来たんだけど…
なんだかこの1年で変わってしまった想いがある。
枯れても、まだ根は生きている、
次の生命を宿しているかも知れない、
もう少し あと少し
見守っていったら何か起こるのかも。
美しいものだけに囲まれて、
必要なもの、欲しいものを厳選して手に入れ、
不要なものを捨て去ってしまう、それも良い。
だけど、少しだけ、
厄介で面倒なことを手放さずにいる。
そのモヤモヤや、イライラが、
上手くいかない反省が、
明日の自分に課題をくれると知る。
家庭のこと、
人間関係のこと、
仕事も…
上手く進んでいく時には分からなかったのは、
面倒だったことを成し遂げた記憶が、
やたら後になって思い出されたりする、こと。
ちょっと背負ってみるとわかる、
案外それが新鮮で、面白い。